大正5年☆100年経ってもやっぱり菊芋!

貴重書の紹介

【實験蔬菜園藝】(実験蔬菜園芸)
著者:下川 義治
発行:大正5年(1916年)11月17日

大正時代から昭和初期にかけて
活動した園芸・農業分野の著述家
家庭菜園や農業技術の普及に貢献した
人物と言われてます🧐

📚(引用箇所:P815~816)
第十一章 菊芋

第一節 名稱

學名
Helianthus tuberosus,L.
(ヘリアンサス、チュベロサス)
英名
Jerusalem Artichoke.
(エルサレム、アーチチョーク)
佛名
Topinambour
(トピナム、ボール)
獨名
Erdapper.
(エルドアッペェル)

第二節 性状

菊科に属する宿根作物にして、葉は尖りたる
卵圓形をなし、粗にして厚し。莖は粗硬にして
毛茸を有し、分枝する性あり、丈七八尺に
生長し、九月頃稍端に姫向日葵に似たる美なる
黄花を開く。地中には塊莖を生し、球形又は
橢圓形をなし、瘤を生じ易きも凹みを生する
ことなし、七八層の短き變形葉を有し、其部は
稍ヽ隆起し、多くは二個の芽を存す、皮は薄く
色は普通淡脂色を含む含める黄色なれども、
變形葉は稍ヽ色濃厚なり、肉は純白なれども
芽の近邊は淡黄色を呈す、味は美ならず。

第三節
來歴

原産地は波斯にして、千六百十七年頃歐洲に
移されたるものなりとの說あり。
又亞米利加の原産にして、十七世紀の頃
北米より、歐洲に移されたるものなりとの
兩說ありて、何れが是なりや闡明ならず。
本邦へは文久元年、歐洲人の横濱に
持ち來りて、食せし切屑より蕃殖し
初めたるものなりと云ふ。味ひ本邦人の
口に適せざる爲め、栽培するもの極めて少なし。

第四節 用途

皮を去りて薄切りになし天麩羅になすか、若くは
肉類と共に煮食すべし。又煮たる後薄切りになし、
酢漬となし食するも可なり。又細に刻みて飯に
混じ食するを得れども、穀類と共に飼料となすが、
或は澱粉製造用・酒精醸造用に適すべし。

第五節 栽培法

風土を撰ぶことなく、何れの土地にも良く繁茂
するものにして、三四月頃三四尺の畦を作り、
一尺乃至一尺五寸位の株間に植ゑ、二三囘
除草中耕を行ひ、風害に注意し、莖葉枯死せば
收むべく、收量は一反歩千貫以上に達すべし。

西暦1916年に発行された書籍📚
100年以上前の資料と現在の状況と
同じような内容でしたが、表現の違いに
面白みがありました!

菊のような花が咲くから菊芋と言われる
ことが多いですが、当時は「姫向日葵」に
似ていると書かれ、また色については
淡いクリーム色のようだと「普通淡脂色」と
書かれており、古風な表現✨

100年前の本に書かれていた
菊芋の植え方や、味わい方に
関しては現在とほとんど似てますね🤗

※出典閲覧:「味の素食の文化センター」

ごきげんよう👋

日本菊芋協会
キクイモニスト
菊子/犬凛
Topinambur